
ものづくりが好きだったので、北広島市(当時は北広島町)の北海道産業短期大学に進学し建築を学びました。地元の建設会社など数社を経て、生杉建設に入社。入社後は一級建築士も取得し、戸建て住宅の設計を担当するほか、高齢者施設など、住宅以外の設計も行いました。また、施工管理で現場のチェックなども行っています。
定年退職後も嘱託でお世話になっていて2024年現在で約40年働いています。私が40年、生杉建設で働けたのは、生杉芳弘会長の人としての魅力が大きかったんだと思います。会長は堅実で安定感のある会社経営をされる方で、この40年間、千歳市内でもいくつもの住宅会社が廃業していきましたが、生杉建設はしっかり成長できてきました。
この仕事は、ものづくりの面白さを味わえるのが魅力です。建て主さまにとって、マイホームは一生に一度の経験だと思います。その大役を担えるというのは、私にとっても大きな喜びです。私自身が設計したもの、あるいは部下が設計したもの、構造面などをチェックしたものなども含めると、年間で20棟くらい、40年でざっくり800棟くらい関わっていると思います。
私は、生杉建設入社4年目、1988年に、自分の設計で自宅を建てました。千歳市内ではじめて、外張断熱のSHS工法を採用した家でした。施工技術に関しては、当時は未経験のことが多くて、大工さんと一緒に試行錯誤してきました。毎年数棟は外張断熱を実践し、15年くらい経った頃、SHS工法が確かな技術であると考え、生杉建設の家は現在、SHS工法を標準にして、現在に至ります。基礎や軸組、断熱気密などがしっかりした家を建てると、住み心地も良いし長持ちします。リフォームやリノベーションをする際も、
基礎や軸組、断熱などの改修コストを抑えられます。やはりお客様には、快適で長持ちする、基本がしっかりしている家づくりをおすすめしたいです。
家づくりは40年で大きく変わってきました。20年前は、家の設計図は手書きでした。今はCAD(図面作成ソフト)で作るので、仕事がしやすい面もありますが、それ以上に、性能や構造、法令、そしてお客様のご要望にお応えしていくことなども含めると複雑になっていて、肌感覚では住宅設計の難しさは20年前に比べ3倍くらいに大変になっているのではないかと思います。
住宅会社の仕事は、設計者も施工管理者も、大工さんも、知識、技術、経験をある程度重ねていかないと一人前になれない、という意味でハードルが高い面はあると思います。
その一方で、何十年前に比べ、休日出勤や残業はほとんどなくなりましたので働きやすくなってきたと思います。
生杉建設は、会長が作り上げてきた長持ちする家づくり、安定した経営、社員同士のコミュニケーションの良さなど、生杉建設の良さを、今の幹部たち、社員も受け継いでいます。生杉建設の家を建ててくれている大工さんたちは、9人いて、40年以上専属で活躍してくれている方もいますし、4組も親子がいて、大工であるお父さんが息子に、大工仕事をしっかり継承してくれています。これからも若い世代に生杉建設の家づくりを受け継いでいければ良いなと思っております。