施工事例

三和シヤッター千歳営業所と飯田鋼業の社屋

千歳市みどり台に、シャッターやドアの大手メーカー・三和シヤッターの千歳営業所があります。この建物は、生杉建設が設計施工を担当させていただきました。お施主様は飯田鋼業の飯田哲次社長。まずは建物を拝見します。

正面の左側には2台の大型シャッター。その上には壁付けのソーラーパネルを配置。

三和シャッター千歳営業所側の倉庫

こちらは飯田鋼業側の倉庫です。

高い天井を支える木造の太い梁が何本も。一部ロフトになっていて建材や金物などを収納しています。

上から倉庫を見下ろした様子。

事務所側の入口。扉や収納棚なども三和シャッターの製品です。

2階にある飯田鋼業のオフィスです。

飯田社長の社長室。

三和シヤッターとは?

三和シヤッター工業株式会社は、シャッターやスチールドアで国内シェアno1の全国メーカー。千歳にも営業所があり、それが今回建設された建物です。

千歳営業所の事務所

同社は、工場や倉庫、店舗、ホテルなどのシャッター、ガレージ、スチールドア、パーテーションなどのほか、住宅部門では車庫に使われるオーバースライダーやシャッターなどを数多く手がけています。

同社は、「シャッターが降りない」「開かなくて車が出せない」といった緊急時にも24時間対応の「フルタイムサービス(FTS)」で対応し、どのエリアからの要請でも駆けつけやすいように道内に札幌、旭川、函館、釧路、苫小牧、帯広、千歳、岩見沢など20以上の営業所や出張所を有し、営業・設計・施工体制を備えています。

1階の会議室

完成した社屋は、飯田鋼業の事務所、作業所としてだけでなく、三和シャッター千歳営業所の事務所としても使っています。

2階の応接室

WEB会議もできる大きな会議室

安田祥所長は「新しい建物は広く、快適で、三和シャッターのパーテーションや建具、シャッターなどの製品もふんだんに使われていて最高の職場環境です」と話してくれました。

千歳営業所の施工を担う飯田興業

お施主さまである飯田鋼業、飯田哲次社長に、事務所建設の経緯を伺いました。

飯田社長は、18歳のころ、知人の縁で鋼製建具の職人さんの元に見習いとなり、三和シヤッターのシャッターやドアなどの施工に関わるようになりました。

最初の半年は、親方について材料を運び、下ごしらえをこなす日々。そして半年後、当時の所長から「このまま職人としてやってみないか」と声をかけられたことが、大きな転機になります。道具とトラックを揃え、19歳で一人親方として独立。個人事業主としての歩みが始まりました。

小さい頃からプラモデルづくりなどものづくりが好きで、この仕事も部品を組み立てて一つの製品に仕上げていくので、仕事内容が性に合っていました。

鋼製建具の職人が一人前になるまでには、10年はかかると言われます。技術も知識も、一朝一夕には身につきません。製品は現場ごとに収まりが違い、「これが正解」という決まった形がない。電動シャッターを扱うには電気の知識も要りますし、修理となれば、50年以上の歴史を持つ三和シャッターの古い製品も修理する必要があります。

シャッターやドアは機能だけでなく建物の見た目にも影響します。1ミリ単位の精度が問われるのです。1つひとつの建物に合わせたフルオーダー品だからこそ、傷ひとつ許されない。そんな緊張感のなかで、飯田社長は腕を磨いてきました。

技術と知識を教えてくれたのは、面倒見の良い親方、先輩たちでした。自分たちの手を止めてでも、後輩に丁寧に教えてくれた。その恩をいまでも感じています。

次世代育成の重要性

一人前になった頃、飯田社長はある危機感を抱きます。自分が入った頃には、腕利きのベテランが大勢いた。ところがその先輩たちが一人、また一人と引退していく。「下の世代がいない。このままでは、職人がいなくなってしまう」

そこで飯田社長は、2012年に法人化し、職人育成のために社員雇用を開始しました。人を育てる道のりは、決して平坦ではありませんでした。福利厚生を整備し丁寧に指導しても辞めてしまう人もいます。ですが諦めることなく育成を続け、今では20代半ばから30歳前後の若手3人が着実に成長し、飯田社長が現場に出なくても仕事が回るようになりました。

後継には「この仕事を続けたい」と話す息子さんの姿もあります。担い手不足が叫ばれる職人の世界で、次の世代へ技術と誇りをつないでいく——それが飯田社長の静かな目標です。

こうした歩みを支え続けてきたのが、三和シャッターとの信頼関係でした。高所作業の資格や各種免許の取得、福利厚生まで後押ししてくれる関係は、下請けという言葉だけでは語り尽くせません。「困ったときは、必ず助けてくれる。本当に、いい関係です」。長い年月をかけて築かれた絆が、飯田鋼業の土台になっています。

「一番信頼する親友の会社に」――新社屋を生杉建設に託した理由

飯田社長と、当社生杉建設の石井社長は、高校時代からの親友です。飯田社長は石井社長について「誰に対しても優しい。センスがよくて、その感性が建築の色使いやデザインにも表れている——飯田社長はそう語ります。

飯田社長にとって、生杉建設は仕事の面でも特別な存在でした。若い頃から生杉建設の現場によく入っていて、生杉建設の大工さんたちはみな、おおらかで優しく、ユニークな人ばかり。シャッターなどの据え付けに訪れて「おはようございます、つけに来ました」と声をかけると、生杉建設の大工さんは丁寧に迎えてくれて「下地は大丈夫か」などと一緒に確認してくれる。挨拶を交わし、互いに気持ちよく仕事ができる——そんな当たり前のようで貴重な関係が、生杉建設の現場にはあります。

「生杉建設の大工さんで嫌な人と思ったことは、一度もない」と言い切ります。現場の雰囲気のよさは、飯田社長が長年、肌で感じてきたものでした。

そんな積み重ねがあったからこそ、自身の新社屋を建てるとき、迷いはありませんでした。付き合いのある工務店は他にもあります。それでも飯田社長が生杉建設を選んだのは、「切っても切れない、一番信頼できる会社だから」。自社事務所をやるなら、信頼できる親友に頼みたい——その気持ちが生杉建設への依頼につながりました。

35年の経験が詰まった、新社屋づくり

新社屋の計画がはじまったのは、8〜9年ほど前のこと。間取りの構想は、飯田社長の頭のなかにありました。35年にわたって北海道各地の営業所を見てきた経験から、シャッターなど4メートル級の製品を立てかけて保管できる特殊な倉庫を2つ、Web会議もできる会議室、2階の収納スペース——。そうした要望を、生杉建設の社長、設計担当ととの打ち合わせで、一つひとつ形にしていきました。

社屋のシャッターやパーテーションは、三和シャッターの製品を、いわばショールームのように採用。据え付けも、飯田鋼業の職人自らの手で行われました。「本当に、やりたいことが叶った社屋です」。飯田社長は、そう振り返ります。

そんな飯田社長の趣味は海釣り。北海道内の海へ船に乗って大物を狙います。取材当日も、こんがりと日焼けした横顔が、その情熱を物語っていました。

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