社長ご挨拶

家づくりは、人生最大の予算を投入する重大事です。建て主様が、要望を気兼ねなく伝えることができ、願いが叶う自由設計の注文住宅が完成する。そして完成後も10年20年30年とずっと暖かく省エネで、メンテナンス・リフォームも含め何年経っても安心して暮らせる。そんな住宅会社を選んでいただくことが大事ではないかと思います。
生杉建設は、1978年創業の住宅会社です。千歳市、恵庭市、苫小牧市、北広島市、長沼町、安平町、札幌市、江別市など地域の皆さまに支えられて参りました。当社は大工の施工力、高い断熱気密性能、お客様のご要望を住まいづくりに活かす自由設計の注文住宅、アフターメンテナンスやリフォーム、土地・賃貸物件のご紹介、公共施設や商業施設などを通じて、皆さまのお役に立ちたいと思っております。
「生杉建設」の歩みと思いを、当社会長で創業社長である生杉芳弘に聞きました。家づくりの参考になると幸いです。
株式会社生杉建設 代表取締役 石井良幸
生杉建設HISTORY
ルーツは船大工をしていた父の存在

私(生杉芳弘会長)の祖父は四国の徳島県出身で北海道開拓の時代に、空知の雨竜町に移住しました。開拓は、度重なる冷害や洪水などによる凶作も多く苦難の連続でした。祖父の息子であり、私の父でもある生杉義一は4人兄弟の長男でした。父は家計を支えるために出稼ぎに出て船大工になりました。当時は木造船の需要が多かったのです。父は出稼ぎで各地を巡るなかで、千歳で家づくりの大工=家大工の技術も身につけました。その後、私が生後3カ月のときに、母と子どもたちは父のいる千歳に移住したのです。
千歳で父が「生杉工務店」を創業。大工仕事が好きと自覚
1952(昭和27)年に引っ越した千歳は、米軍基地があった影響で街が急速に発展していました。父は大工さんの親方になり「生杉工務店」を創業。長男、次男、三男、四男、そして私も父の元で働きました。
父は腕の良い大工で何でもできました。子どもたちにも大工仕事を教えてくれて、私も大工仕事を覚えました。なので私も大工の経験があり、また、私自身がものづくりが好きだということにも気づきました。経済的には余裕はありませんでしたが、それでも兄弟仲良く働いていました。
施工管理、業務管理はハウスメーカーに学んだ
私が19歳、1971年の時に父が73歳で他界し、三男が「生杉工務店」の跡を継ぎました。私は現場管理者になりました。当時、全国大手ハウスメーカーが大曲(北広島市)から千歳くらいまでのエリアで住宅建設をする計画があって、私が専任監督員という立場で、そのハウスメーカーの事務所に出向するような形で、働くことになりました。毎朝千歳から札幌に出勤し、6時くらいから現場をみてまわりました。岩手から春に12人くらいの大工さんに出稼ぎで来てもらい大工工事をお願いしました。多い年は年間70棟くらい建てていました。激務でしたが、当時、家づくりの施工品質、コスト、段取りの管理、さらには顧客対応や経営に近いことまでノウハウをたくさん勉強させてもらいました。これが後日、住宅会社「生杉建設」の経営に非常に役立ちました。
第2次オイルショックで退職し「生杉建設」を創業
数年、大手ハウスメーカーの家づくりを担当していたのですが、1978年に第2次オイルショックが発生しました。ハウスメーカーの仕事が突然無くなり、困った私は、まず岩手から来てくれている大工さんたちに、日高の新冠町に学校の新築工事があったので行ってもらって当面の仕事を確保しましたが、私自身は会社に仕事をもたらすことができなくなって、申し訳ないと思い、その年の9月に生杉工務店を退職しました。
私自身のこの先のことを考えなければならない局面で1978年に創業したのが「生杉建設」です。私と、元恵庭の基礎工事屋さんで私と深い信頼関係のあった頼りになる先輩と、大工さん2人が私と一緒に頑張ってくれるということになりました。とにかく仕事がなかったので営繕の仕事でも、どんな仕事でも、一生懸命に営業をしました。ハウスメーカー時代の経験があったので、お客様の要望を伺って、プランニングと、積算、お見積もり、施工管理は自分でやれたので、がむしゃらに働きました。
地域の皆さまに支えられてきた
1978(昭和53)年に創業した生杉建設ですが、千歳を中心に、営繕、修繕工事からはじまり、徐々にリフォームや新築工事などのお仕事をいただけるようになっていきました。とにかく地元千歳、恵庭、北広島、苫小牧など、地元の方々からいただいたお仕事、ご縁を大切にしてきました。振り返れば学校の先生や司法書士さん、地主さん、自衛隊の方など、口コミを広げていただいた、お世話になった方々の顔が浮かんできます。当時は営業は私だけだったので、必死に営業し、多い年には年間13棟くらい新築工事を担当させていただきました。
腕の良い大工さんたちが生杉建設の柱

生杉建設の創業まもない頃から40年以上、大工工事を担ってくれている大工さんが数名います。棟梁の田中正さんは、大工としての腕が確かですし、職人さんには珍しく建て主さんとのコミュニケーション、気遣いが非常に良くできる尊敬する棟梁です。息子さんの田中敬士さんも大工さんです。同じく棟梁の本庄武美さんも40年以上のお付き合い。新築もリフォームも経験豊富な頼れる大工さんですし、甥っ子の本庄進一さんも大工さんとして活躍してくれています。他にも佐々木和則さん俊也さん親子、越前谷俊彦さん和昭さん親子、上村憲一さんという9名の大工さんが生杉建設の家づくりを技術面で支えています。親子の大工さんがこんなにいるのは大変珍しいと思いますが、きっと、父親が大工をしている姿を見て、大工の道を歩んでくれたのだと思いますし、父親として息子をしっかり一人前に育ててきたから、大工さんたちの世代交代もできているんだと思います。
SHS工法をいち早く採用し、高断熱高気密住宅を実現

1970年代のオイルショック以降、省エネを図るために住宅の断熱材をどんどん厚くする高断熱化が進みましたが、壁体内結露、断熱不足、すきま風などの、断熱気密の技術上の課題は残っていました。そこで当社は、吉川技術顧問の自宅で、梁、柱などの木造住宅の主要構造部を、断熱材「スタイロフォーム」を用いてスッポリ覆う断熱工法にチャレンジしました。のちに、日本で初めて「木造住宅の外断熱工法」となったSHS工法です。
千歳エリアではもっとも早い挑戦となったSHS工法の導入を吉川技術顧問や大工さん、職人さん、そして断熱材メーカーと連携し、施工を創意工夫し改善を進めながら現在に至ります。生杉建設がSHS工法で建てた30年前の住宅の壁を剥がし、状態を確認すると、柱や梁、そして断熱材の劣化がほとんど生じていません。省エネ性能と住宅の耐久性のどちらの面でも、自身を持って家づくりができるのが生杉建設の誇りです。
兄たちも独立し会社経営の道へ
千歳の「生杉工務店」「寿ハウス」という住宅会社、電気通信工事業の「マルイケ生杉共電」は、どれも私の兄たちが創業した会社です。生杉建設と不動産会社の株式会社イケスギは私が創業しました。株式会社イケスギは息子が跡を継いでいます。思えば、バブル崩壊や、全国大手ハウスメーカーが全国各地に進出した時代など、大変な時代もありました。千歳市内の工務店、ハウスメーカーなども耐えられず退場していった会社もたくさんあります。そうした時代を生杉建設が乗り越えることができたのは、大工さんや、専門工事の職人さん、社内の施工管理、設計、営業さんなどの人材の力、そして地域の方々の支えがあったからだと思います。そして会社の売上や経営規模の拡大などに欲張らず、お客様あっての商売だから、お客様や社会に対しての誠意と責任を意識しながら着実にやっていこうと考えてきたのが良かったのではないかなと思っています。
おしつけない家づくり~自由設計の注文住宅

近年の住宅会社は、企画住宅、建売住宅をメインにする会社の方が多いと思います。特に千歳エリアは、建売住宅方式のモデルハウスを建てて、なるべく早く売却していくというスタイルの住宅会社が多いかと思います。土地探しが家づくりのメインで、建築条件付きのこの方式は、お客様との打合せ回数などのコスト増要因が減り、商売がしやすくなる面はあると思います。
一方、当社は創業以来、自由設計の注文住宅をメインにしてきました。お客様に家づくりの間取りやデザインなどを押しつけるのではなく、お客様ご自身が住みたい家をお客様と一緒にゼロから考え、要望を実現させていくという自由設計の注文住宅の方が、お客様が住み始めて数年、数十年経ったときに「ああこの家を建てて良かったな」としみじみ思ってもらえるような家になる、逆にいえば、完成している家を買う場合だと「ここはこうだったら良かったのに」「なぜこの部屋はこんなに使いずらいのだろう」というような不満が生まれやすいのではないかなと思っているからです。
人材育成
社員や、協力業者さんたちが生杉建設の財産です。また、建て主様から、台風などの時や、ボイラーの故障など、住まいの不具合などのご連絡があったときには、私、そして営業マン、施工管理者や、協力業者さんなど誰かが、どんな時間帯でも、早く駆けつけられるような、そんな会社でありたいと思ってきたこともあり、社員、そして協力業者さんたちと、いざというときに助け合える関係が大事だと考えてきました。そういうこともあって当社では、工事部の人材を充実させることで、お客様へのアフターサービスをしっかりできる体制も重視してきました。また新年会や観楓会、お花見、社員旅行、協力業者さんとの食事会などを、おそらく他の住宅会社より多く開催し、助け合える社内環境を作ろうとしてきました。
今後の展望
千歳自体は、自衛隊や空港、工業団地、そして近年はラピダスの進出で経済発展をしてきました。とはいえ、過去には大きな工場が撤退して地域経済が低迷した時代もありました。住宅業界でいえば、建材価格の高騰は、住宅新築などへの逆風になっています。千歳に注目が集まる結果、競合企業の参入も増えてくるという面もあると思います。油断せず、堅実な経営が大事ではないかと思います。
2020年頃に現在、会社を舵取りしている石井社長に社長の立場を譲り、巽専務、安達部長、上林部長など、経営陣の世代交代を進めました。この数年、業績も順調です。リクシルリフォームショップの立ち上げなど新たな挑戦にも取り組んでくれています。今後も、彼らが中心になって、補いあって進めてくれればいいと思っています。
株式会社生杉建設 会長 生杉芳弘 2024年12月
会社概要


社名 | 株式会社生杉建設 |
代表者 | 石井良幸 |
創業 | 1978年 |
住所 | 北海道千歳市富士4丁目3-22 |
資本金 | 2462万円 |
電話 | 0123-26-0035 |
FAX | 0123-27-0666 |
加盟団体 | 北海道SHS会 https://hokkaido-shs.jp/ |
インスタグラム https://www.instagram.com/dreamspace_ikesugi/
LIXILリフォームショップ 生杉建設
〒066-0038 北海道千歳市信濃3丁目6-11 1階
フリーダイヤル 0120ー801112
ホームページ https://www.lixil-reformshop.jp/shop/SP00001294/